「自らの原理原則を正当だとする西欧の静かな確信や、自分たちとは違う別の基盤を軸とする思考と文明の型への憐欄が、生の芸術の旗手たちの作品を賛嘆する理由である――いや、「賛嘆していた』と過去形で書くべきかもしれない。
とにかく、うららかな空に、疑念という小さな雲がたなびきはじめたのだ」。
しかし、「生の芸術」の実践者は、なにも全員が精神病院の患者というわけではない。
芸術シーンを彩る周辺部にも、生の芸術を実践した人たちがいる。
ひたすらコラージュや、雑多な要素をからめながら絵画や彫刻を創作し、そこに独創性と幻想を融合してゆく無名の人たちだ。
建築家のアラン・ブールボネは、「生の芸術」の作品を数多く収集した人物だが、彼の集めた作品は精神病患者のものではなかった。
彼は、「孤独で、みじめな、無名の創作者は、取りまき連中からすれば、芸術的価値よりも市場価値でしか評価されなかった」と語っている。
ブールボネは、心ならずもこうした芸術家たちの庇護者となり、「ラ・フアブユロスリ」の常設展に出品された奇妙な作品を次々と買い求めた。
ときとして、型をはずれたこうした芸術家たちは、単に作品を作りだすだけでは満足せず、廃品を利用して自分たちの置かれている環境を魔法の場所に造りかえてしまう。
たとえば、元郵便配達夫のシユヴアルは、現代の最も驚くべき幻想的な建築家の一人だと言える。
彼は、四〇歳になって、自宅の庭に小石を集めようと決心し、手押し車を使って石を運びはじめた。
周囲のからかいに耳を貸すことなく、こつこつと石を集め続けた。
「昔から、周囲の人たちは何をやってもからかってばかりで、自分たちに理解できない人間を迫害することもある」とシユヴアルは語っている。
彼は石を集めながら、創作にとりかかり、約三五年間、つまり一八七九年から一九三年までの歳月をかけて、自分の夢を形にした空想の世界を作りあげた。
そこには、中世の城、モスク、ヒンズー教の寺院、スイス風の別荘等々がずらりと並んだ。
この元郵便配達夫は、建築家として想像の王国を造りだしただけではない。
既成の枠にとらわれない自在な発想をもつ貧しい建築家や労働者、職人、あるいは郊外の住宅で退職後わびしい暮らしを送っている人たちに勇気を与え、辛抱強く住居や庭を作りかえてゆけば、だれでも輝きをもった人生が送れることを証明したからだ。
「彼らは、芸術と日曜大工の狭間に暮らし、都市と自然の狭間で、そして遊戯と情熱の狭間で生きている。
廃物を利用し、セメントのみを買いつけて、エキソチックで、夢幻的で、中世的で、動物学的なさまざまな夢を実現しようとしている」。
パリ南西部、シヤルトルにある墓地の掃除夫レイモン・イシドールは、輝いている物、光る物なら何でも集めた。
彼はこう語っている。
「野原を散歩していたとき、たまたま、小さなピー玉と大皿の割れた破片を見つけました。
私はその色あいと輝きに引かれ、これといった意図もないまま、それを拾い集めたのです。
気にいった物はポケットに入れて、気に入らない物は捨てました。
お気に入りの物だけを自宅の庭に持ち帰ったのです。
すると、私には(時)すみかそれが家を装飾するためのモザイクのように見えてきました」。
一九三〇年代に、イシドールは自分の住処としてバラックを建てた。
陶器の破片やガラスのかけらでゼラニウムの鉢を飾ろうとしていた頃は、まだ、この先自分を呪縛することになる滑稽物がどれほどの規模になるのか、予想だにしなかった。
ほどなく、光る破片を使ったモザイクは、外壁や内壁にも使われ、家具に、台所に、ラジオの受信機に、ミシンに、といった具合にとめどなくひろがっていった。
女性、動物、花をモチーフに、陶器、磁器、員殻などを素材とする色鮮やかな断片的作品が家じゅうを覆っていった。
当地で、「ピカソもどき」とあだ名されながら、三三年の歳月をかけて、健常な右手(左手は麻痺して使えなかった)一本だけで仕上げていった。
そして彼なりの天国の姿を見事に具現したのである。
ただし、細君はこのモザイクの家を逃げだしてしまったようだ。
一九八三年、ピカソもどきのこの邸宅は、歴史的記念碑としてのお墨つきを得た。
パリの南東に位置するフォンテーヌプローの森では、世捨て人の彫刻家ロジェ・シヨモが、公共のごみ捨て場から集めた廃材を使って、まことに奇妙な世界を作りあげた。
『前奏芸術の村』と題されたものだが、これは樹々に人形の屍を吊し、未加工の無数の彫刻群を並べたもので、金属製の蓋と木製の板には、音遊びを使った意味不明のメッセージが刻みこまれている。
一九一四年から『既製品』を発表してきた画家マルセル・デユシャンは、日用品のもつ元々の役割を方向転換し、これに新しい表現適性を与えた人物だ。
自転車の車輪、ワイン棚、あるいは雪かきのシャベルを芸術作品として提示したのである。
デユシャンが芸術美と自認する一連のオブジェが美術館に展示されると、館を訪れた人たちは驚きの声をあげると同時に、形容しがたい気晴らしを味わった。
デユシャンは、日用品が芸術作品として位置づけられることを自らの作品をもって示すことで、美術館という「殿堂の守衛」の価値基準に戦いを挑んだことになる。
なぜなら、美術館を管理運営する側が彼の作品を受けいれたことは、これすなわち、画家の精神的な選択をくぐれば、日用品であっても芸術的な作品として認めたのと同じことになるからだ。
こうした挑発的な運動を進めながら、デユシャンは芸術のなかに廃品を持ちこむ新たな方向を切りひらき、現代の画家たちに多大な影響を与えたのである。
デユシャンと同じく、ピカピアも、ドイツとフランスの「重壕戦」に酔易する芸術家や作家たちによって進められたダダ運動に参加した一人である。
ダダの参加者は、伝統的な耽美主義という混沌とした世界に拠ってたつ既成の価値観を、瑚弄、愚弄していた。
ピカピアは電灯を素材に選ぴ、そこに若い女性の姿を巧みに投影させた。
その作品『女性電灯』あるいは『電灯女性』は、芸術的な創造という迷妄から私たちの目を解き放ってくれる。
マックス・エルンストは、シユールレアリスムのコラージュでは押しも押されぬ巨匠として認められた画家で、レコードの破片や新聞、広告、カタログなどの切れ端を使って、「現代的な不可思議」の世界を描きだした。
使用する素材に新しい意味をもたせたのである。
日常生活でごく普通に用いられる物と物との意外な出会いが、見る者を戸惑わせ、夢想と恐怖の世界に誘いだす。
作家アラゴンによれば、「エルンストは幻想の画家である。
このマジシャンは見たままをそのまま再現している。
個々の事物がもっている本来の意味を変容し、そこに新しい現実を呼び覚ます」。
プルトン、アラゴン、エリユアールといった作家たちは、一九二〇年代にエルンストのコラージュに詩情を見出し、そこに不可思議で幻想的な雰囲気を感じとった。
彼らはエルンストの作品の視覚的な構成に熱狂し、その作品のなかに自分たちの手がける文学作品の呼吸と相通じるものを発見したのである。
実際、すでにロートレアモンが、かの有名なフレーズを通じて、物を日常的な枠から超現実的な状況下に位置づけなおす道を切りひらいていた。
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